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メンター通信 第87号

発行日2011.4

仕事で必要なことはシステム開発からすべて学んだ

私は25歳のときに、コンピューターシステムのエンジニアとしてデビューを果たしました。
それは突然やってきました。昭和57年の年末です。
私は地元の自動車デーラーの整備士として入社2年目でしたが、フロントからT工場長がやってきて
「岩崎君、明日からちょっと打ち合わせに入ってくれ」
「はい、何のですか?」
「コンピューター室の打ち合わせや」
「はい・・・」
とは言ったものの私は、コンピューターなんて触ったことがありません。
学生時代に授業であったのですが、あまり好きではなかったのでほとんど覚えていないんです。

ここだけの話ですが、課題は私の兄がやっていました。
兄は、私とは正反対の性格でこういうことが大好きです。
課題を持って帰って、渡したら直ぐにプログラムを書いてくれました。そしてエラーが出たら、「ここと、ここを直して」
私は、言われるがまま次の授業でパンチをして、テストします。
すると一発でOK。
その時既に兄は、プロのプログラマーでしたから、当然と言えば当然です。
そのお蔭で、私の成績は「優」実力は「不可」
こんな私に、コンピューターの仕事なんか出来るんだろうか。
そんな思いで、打ち合わせに参加しました。
皆さんの予想通り。
全く何を話しているのか解りません。
「岩崎君、あなたはCRシステムの担当だから」
「えっシー、アール?何の略?」そんなことを考えているはなから次の言葉が
「じゃあ、この帳票のレイアウトを作ってくれ」
「えっ、レイアウト?」
指示を出されたのは、サービス部の長、当時コンピューター室はサービス部の配下にあり、実質上の上司にあたっていました。
しかもそのH次長は、早口で聞き取れません。
私は昨日まで整備の現場にいた人間です。それが百人近く部下を持つ長とイキナリ話をするのですから、聞きなおすことも出来ずにただ必死に理解しようとするだけです。
打ち合わせが終わるとどっと疲れが出て、頭が混乱したものです。
この不安から逃れたいので先輩に
「レイアウトってなんですか?」
「CRって、なんのことですか?」
よく質問をしたものです。
それで何とか自分に指示された仕事は何であるかを理解し、見様見真似で仕事に着手しました。
レイアウト用紙というのを、取り出してきてそれに「X」とか「N」とか「9」とかいう記号を書いて、一枚の紙に何を印刷するのか項目を書き入れていくわけです。

過去に作成してあるものを真似しながら、1枚1枚書いていきます。
これが正解なのかどうなのか。そんなことは解りませんが、兎に角書くしかないのです。
書き上げたら、直接そのH次長に見てもらう。
そんな日々の繰り返しです。
自分のやっていることが良いのか?悪いのか?それも判断できず目の前のことだけで精一杯でした。
しばらくするとプログラミングの勉強に入りました。まだ仕事でプログラムを組むという段階ではなかったので、テスト的に自分で課題を考えやってみることにしたのです。
その時思い付いたのが、兄にやってもらった課題です。
課題はカレンダーを作るというものでした。チャレンジをし始めてしばらくすると本当の仕事として1つプログラムを作成することになったのです。
結局、学生時代の課題は未だに出来ていません。
1本のプログラムが完成してからというものシステムエンジニアの地獄が始まったのです。
打ち合わせをするたびに、仕事がドンドン山積みされていきます。相変わらず上司のいうことが、理解できず。後で先輩に聞くということが続きました。
ところがそれも限界が来たのです。
その先輩も新しいシステムを手伝うことになり、人のことまで面倒見ておれなくなったのです。
私は、打ち合わせが怖くなってきました。できるだけ話したくない。そんな思いが込み上げてきたのです。とは言え打ち合わせをしない訳にはいかない。
その時もいつものように打ち合わせが始まりました。私は矢継ぎ早に出てくる言葉に翻弄されようとしていました。
そのとき苦し紛れだったんですが、思い切って質問をしてみたんです。
「営業の人ってどうやって営業しているんですか?」
この質問は、システムの話とは全く関係の無い唐突な質問です。
ところが「A係長、業務部にそんな本があったよな。確かメーカーから買うんだったか。新人のセールスが使うやつや。」
「そう言えば、お前営業のことは何も解っていないものな」
私の担当するCRシステムとは、顧客管理システムだったのです。その私がどうやって営業するのかも解っていないわけです。
このとき質問をしたことが、私の人生を変えたといっても大げさではありません。

まず打ち合わせの進捗が止まったことです。そのお蔭でいつもならドンドン打ち合わせが進んでいくところを打ち合わせが中断されそれまでのことを理解する余裕が出来たのです。
さらに私が疑問に思った営業のやり方について、簡単に説明を加えてもらったので、話の内容が良く理解できました。
二つ目は、相手に私が何も解っていないという事実を伝えられたことです。
それ以来、打ち合わせのペースをゆっくりとしてもらえるようになりました。お蔭で解らないことがあれば聞くというタイミングが取れるようになったのです。
三つ目が、一番重要なのですが私は何も解っていない。だから何でも教えてもらわないと解らないという自覚です。
「知ったかぶりをしない」といことですね。
この馬鹿になれるということは、以降システム開発をしていく上で、自分より若い事務の人から現状を教えてもらうときやこんなことも知らないのという罵声を浴びせられたときに非常に役に立ちました。
このときの気づきを元に馬鹿になって質問するということを心がけるようになったのです。
一朝一夕で身についたことでは、ありませんが質問技術が上達していったのは間違いありません。

山積みの仕事から解放される法

打ち合わせは何とか理解ができるようになりましたが、相変わらず仕事はどんどん増えていきます。

その一つの原因は、H次長の発想力です。血液型がB型で左利きと言えば解る人もいると思いますが、発想が凄い。
誰も付いていけない速度で仕事を考えるのです。矢継ぎ早にやりたいことが出てきます。
それを必死でこなそうとするのですが、こちらも限界があります。さらに、その頃になると今までのシステムの運用も入ってきましたので、大変な状態です。
朝会社に入って、さあやるぞ!と机に向かうわけですが、しばらくすると担当の部署の女性から質問がきます。
当時ワープロなど無い時代です。1台100万円もしましたし、8インチのフロッピーディスクに書き込むものです。
操作マニュアルを作るにしても、手書きで作ったものを青焼きするぐらいしかありません。
そんな時間を使うことも出来ず、結局解らないことは、プログラムを作った人に聞くしかない訳です。こちらもすべて頭に入っているわけでもなく、調べる必要があるわけです。
それで時間を取られ対応が終わるとお昼前です。少しの時間を利用して、自分の仕事に気持ちを集中しますが、あっと言う間に昼休みになります。
午後になって、気を取り直して仕事を始めます。ところがトラブル発生。原因調査を開始し、不具合の原因を突き止めます。データを修正しひとまず運用にこぎつけます。
結局、なぜそんなデータが入ったのかわからず、本当の意味での対処は出来ずに終わってしまいます。
そんなこんなで、自分の仕事が始まるのがみんなが帰ってからという非常のきつい日々が続きました。
こうして何が何だか解らなくなったときに、よく行ったのが残作業の一覧をノートに書くことです。
このときの習慣が、自分の器を仕事の量が越えたときの対策になっています。
そして仕事に掛かる前、今日一日の仕事を書き出す習慣になっています。
この雪崩のような仕事からいつか抜け出してやろう。と思い始めました。

革新するには、捨てる覚悟が必要

それから1年半ほど経って仕事も落ち着いてきました。そこでこの雪崩のように仕事が二度と起こらないように作戦を開始したのです。まず原因追求です。

原因の一つは、昔のものには解説した書類が一切ないということでした。
何がどうなっているのか。昔の難解なプログラムを常に解読しなければなりません。
原因の2つ目は、過去の遺産の中にありました。この会社にコンピューターが導入された頃は、物凄く高価なものでプログラムを見やすくするというより、短く作るのがよいとされていました。
一概には言えませんが、短ということはそれだけ、解りにくくなります。そこに不具合が潜む可能性が高くなります。
原因の3つ目が、オペレーターだけで運用が出来ないシステムになっていたことです。
この3つを解決すれば、後ろ向きの仕事は絶対無くなり、前向きの仕事が出来る。そう信じて私は改革を始めました。
最初にやったのは、被害がこれ以上拡大しない対策です。
今後プログラムを作った場合は、設計書と操作マニュアルは必ず作成することを徹底しました。
これはメンバーにすんなりと受け入れられました。
次は、過去のプログラムをどうするかです。過去のプログラムは、先輩が管理しています。それを私が勝手に直すわけには行きません。概ね先輩は「そうできるといいね」とは言ってくれますが、本当にやろうとはしません。今まで何とか運用してきたのに何故わざわざ作り直さなければならないのか。
先輩にしてみれば、当然のことです。
一向に進まないので、今後のことを考えてなどと理由をつけて、担当を交代してもらうことにしました。私が担当していたものを先輩に渡し、逆に先輩の担当するというものです。
しぶしぶ了承した先輩から仕事を受け継ぐことになりました。これで大手を振って、作り直しが出来るわけです。
一番の課題は給与計算です。毎月のこの計算のときには必ずプログラムを触っていることが以前から気になっていました。
これを何とか解決しようとプログラムを見てびっくり。
何が何だか解らないんです。先輩に尋ねてみると自分が作ったのではなく今はいない前の担当者が作ったもので、それを直して使っているから、よく解らないという答えでした。
私は一から作り直すつもりで、給与計算を勉強しました。
そして一年掛けて遂に作り変えることに成功したのです。給与計算というのは必ず年末調整というのが入ります。
ですので最低でも1年間は掛かることになります。
ところが、大失態を演じてしまったのです。
その年末調整の計算が違っていたのです。給与明細を受け取ったひとりの人から、計算が違うという連絡があったのです。
調べてみるとある条件に該当する人だけ金額は少なく計算されて、年末調整で戻る金額が少なかったのです。
総務部長の呼ばれて、叱責されたのはご想像の通りです。
そして、再度計算しなおして不足分を振込みしなおしです。
ところがまた違っていたのです。

こうなるともう私もどうしていいか解りません。総務部長も飽きれてしまっています。
穴があったら入りたいとはこのことです。
総務部長も心配になったのでしょう。担当の女性をつけてもらって一人ひとり電卓で計算しなおして、振込みを掛けることになりました。
周りに迷惑を掛けたのですが、この給与計算システムの作り直し後は、総務のオペレーターだけで毎月運用できるようになりました。
すべてのシステムを作り直したとき、先輩の仕事も無くなり先輩は会社を去ることになったのです。
変わっていくということは、それだけ犠牲を払うことになるとその時感じたのです。皆さんは将来を得るために、過去を捨てる覚悟は出来ていますか?

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